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活動レポート

マレーシア・スタディツアー報告「ロヒンギャ難民や孤児支援&現地大学生との交流&観光」(2024年2月17~21日)

マレーシア・スタディツアー報告「ロヒンギャ難民や孤児支援&現地大学生との交流&観光」(2024年2月17~21日)

 関西大学1回生のMさん、同4回生のIさん、京都産業大学3回生のTさんが2月17~21日、JAFSのスタディツアーに参加してマレーシアを訪ねました。

迫害されミャンマーから逃れて来たロヒンギャ難民の住まいや小学校、また孤児院を訪れ、AFSペナンのフランチェスカ・ホンさんと一緒に支援活動や交流をしました。マレーシア科学大学では現地大学生と交流し、またクアラルンプールやペナンの街を歩き、多民族が共生する社会を体感しました。

海外が初めての人、国際協力や海外勤務の夢を持つ人と立場は違いますが、それぞれ多くを学びとってくれたようです。3人から届いたレポートをお届けします。

心の強さ忘れぬロヒンギャ難民
2月19日に、ペナン州ブキッムルタジャムにあるロヒンギャ難民の住居や小学校を訪ねた。ロヒンギャとは、ミャンマーで暮らすイスラム教徒の少数民族だ。仏教徒が多数を占める同国で、政府から迫害されて国民と認められず、バングラデシュやマレーシアに避難して難民となっている。(M)
 食料支援をした住居で聞いて印象的だったのは、フランチェスカさんから10世帯ごと2カ月に1回、計50世帯が支援を受けているということだ。各世帯が支援を受けられるのは10カ月に1度のみとなる。支援物資の量も限られ、難民たちはそれぞれ住居の畑で作物を栽培し、他の家族と物々交換して生活しているようだ。(T)
 支援物資をもらえるのは、所持するUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)難民登録カードの情報が適切である人。それを破り、物資をだまし取ろうとする人もいるようだ。しかし、一概に悪いとは言えまい。明日を生きるためにやむなくしている人もいるという。我々が物資を提供した際には、お礼を伝えてくれた。(I)
 小学校では、子どもたちが歌や踊りを披露してくれたり、タナカと呼ばれるミャンマーの化粧を頬にしたり、私たちがドラえもんの歌を歌ったりして交流した。楽しい雰囲気に包まれた一方で印象的だったのは、ある少女がこぼした「お金がないため、来年はこの学校に通えないかもしれない」という一言だ。マレーシア政府などから教育支援を受けられていない。(T)
 学校に入った途端、皆が歓迎してくれた。手を振ったら振り返してくれ、腕を広げたら抱きついてくれた。彼らを少しでも笑顔にできて私はうれしかった。私たちが裕福な生活をしている反面、こんな境遇に置かれた方々も存在するという対比を感じ、彼らの心の強さを改めて実感した。(I)
 経済的な理由で学校に通い続けられない子の話を聞き、当たり前に学校に通えることは素晴らしいことなのだと改めて実感した。私は何もできない自分に無力感を感じた。しかし、一緒に支援活動をした方が「彼らにとっては、自分たちに目を向けて気にかけている人がいる、はるばる日本から会いに来てくれていると分かるだけでも救いになる」と話していて、今回の活動が少しでも意味のあるものになれば良いなと考えられるようになった。
 このツアーに参加するまで、ロヒンギャ難民という人たちが存在することすら知らなかった。今回見たこと、知ったこと、感じたことを積極的に発信し、難民問題を解決するためにできることを見つけていきたい。 (M)
心の強さ忘れぬロヒンギャ難民
お返しはソーラン節、孤児たちに心通じた
19日の午後は、ペナン島にあるストリートチルドレンが暮らす孤児院を訪問した。施設内の礼拝場所で管理者の方が「私たちは特定の神に対して祈りを捧げるのではなく、全人類に対して祈りを捧げています」と話をされていたのが印象的だった。(T)
 孤児院には、ストリートチルドレンやシングルマザーの子、身体に障がいを持っている子が暮らしていた。インド系と中華系の26人だった。施設管理者の方は「すべての子どもたちが人種や宗教にかかわらず共に祈りを捧げて、平等に助けあって暮らせるようにしたい」と話していた。はじめは私たちが話しかけても、逃げてしまうような子が多かった。それだけ心の傷が深いのではないかと感じ、コミュニケーションをどう取るべきなのか、とても迷ってしまった。しかし、この日のために練習したインドの伝統的な踊りや歌を生き生きと披露してくれた。私たちも即席でソーラン節を披露し、一緒に踊った。少しずつ心が通じ合ったような感覚になった。(M)
 子どもたちはとても楽しそうで、歓迎してくれている心が大いに伝わってきた。私たちの歌や踊りにもとても喜んでいる様子で、即席ではあったものの、披露して良かったと思った。その後、彼らから近づいてきてくれることが増え、抱っこや肩車をした。心を開いてくれている様子だった。(I)
 しかし、最後まで、表情がずっと暗い子も見られた。彼らが心に深い傷を負っていることがわかった。(T)
 私たちが帰るとき、子どもたちがみんなで送り出してくれた。このような地でも帰りたくないと思った私自身に驚いた。もっと彼らに楽しく生きる希望を与えたいと強く思った。私の身に起こる辛いことなど、たいしたことではないと考えさせられた。貴重な経験だった。(I)
 人は会話だけではなく、共に体を動かし、声を重ね合わせるだけでも心を通わせることができるのだということを、この孤児院を訪れて実感した。孤児院の子どもたちが、私たちの訪問を喜んでくれた姿を見て、私は日本国内にある孤児院などの施設も積極的に訪ねてみようと思った。(M)
お返しはソーラン節、孤児たちに心通じた
学生のすごい英語力「私もがんばらねば」
2月20日にペナン島にある国立マレーシア科学大学(USM)を訪れた。現地の4年生2人と我々3人が、スライドを用いて自己紹介し、所属大学や住む地域、文化などを紹介し合った。USM学生のプレゼンテーションは、2人ともスライド作りや発表の構成などの質が高かった。年10回は英語でプレゼンをするそうだ。卒業間近だから、これまで40回はした計算になる。
 彼らは英語が母国語でないのに、高レベルの実用的な英語を話した。高校生の時、社会人になる前に習得した方が有利と考え勉強したそうだ。学生のミーティングも英語で行い、英会話に慣れているとのことだった。(T)
 USMの学生は自己紹介も英語力もレベルがとても高く、尊敬することばかりだった。1人の学生は日本語も習得していた。彼らの学習意欲はとても高かった。英語は私たち日本人は小学3年生から、マレーシア人は6、7歳からと、少し早く学び始める影響はあるかもしれないが、同じように学校で英語を学んだにもかかわらず、会話では日本人は劣っていると痛感した。
 1人の学生から、話せるようにならないといけないとプレッシャーを感じて努力したと聞いて、日本の英語教育と、自分の学習に対する意欲は、劣っていると感じた。残りの学校生活を無駄にしないように学習にも努力を惜しまないでおこうと思った。(M)
学生のすごい英語力「私もがんばらねば」

 帰国して井上くんが、「一生日本で楽しめると思っていたが、初めて海外に行き、外に違う世界があり異なる考えの人がいると分かった。また将来はフードロス削減のための食品販売に携わる予定なので、食料支援にも関わりたくなった」と話してくれました。

 ツアー後にフランチェスカさんは「この貴重な経験が学生の将来や社会貢献に生かされれば、私の努力は報われます」とメッセージをくれました。

今後のスタディツアー予定
コロナ禍を経て、これからアジアの国々へ出かけるスタディツアーやワークキャンプを再開していきます。

例えば 2025年2月には、インドネシアのジャワ島とバリ島を訪れるスタディツアーを計画中。学校に泊まって交流したり、スラムを訪れたり、環境活動を体験したり。詳細が決まりましたらお知らせしますので、ぜひ参加をご検討ください。

他にもいろいろ。今後のHPやFacebookの情報にご注目ください。

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