バングラデシュのプロジェクト地を訪問
「温かな」国 バングラデシュ
コロナが少し落ち着き、海外渡航の制限も緩和され、JAFSスタッフがアジアを訪れる機会も増えてきました。
4月29日から9日間、バングラデシュのプロジェクト地を視察したスタッフ 坂口 優からの報告を、会報誌アジアネット154号のトップ記事から抜粋してお伝えします。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
JAFSが支援活動を展開している大切なパートナー国の一つバングラデシュを、4月29日から9日間、プロジェクト地視察のために初めて訪ねました。手探りで駆け足の旅でしたが、多くの人と交流できました。とりわけ私の胸に焼き付いたのは、どこか懐かしさを誘う街や田園の風景と、笑顔を絶やさない人々の心の温かさでした。
4月29日から9日間、バングラデシュのプロジェクト地を視察したスタッフ 坂口 優からの報告を、会報誌アジアネット154号のトップ記事から抜粋してお伝えします。
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JAFSが支援活動を展開している大切なパートナー国の一つバングラデシュを、4月29日から9日間、プロジェクト地視察のために初めて訪ねました。手探りで駆け足の旅でしたが、多くの人と交流できました。とりわけ私の胸に焼き付いたのは、どこか懐かしさを誘う街や田園の風景と、笑顔を絶やさない人々の心の温かさでした。
「まず食事」がご当地流
気温40度の猛暑。なじみのないイスラム教の国。これから何が起きるのだろう、と私はわくわくどきどき。
着いたばかりのダッカの街を歩いていたら、「どこから来たの?」といきなり尋ねられました。
「日本」と答えると、「日本に知り合いがいる」「日本の企業で働いている知人がいる」などと次々に声があがりました。みんな日本が大好きだそうです。日本について知っていることをたくさん話してくれました。
お客さんが来たらまず一緒に食事をする。これがバングラデシュ流のおもてなしだそうです。私も訪問先で、早速およばれしました。言葉は分からなくても、食を通じてコミュニケーションが取れ、つながりを感じることができました。
モノがあふれ、個々人の活動が多くなっている日本では、人と人とのつながりが希薄になりつつあります。日本の地域社会で失われつつあるものの大切さに改めて気づかされました。
着いたばかりのダッカの街を歩いていたら、「どこから来たの?」といきなり尋ねられました。
「日本」と答えると、「日本に知り合いがいる」「日本の企業で働いている知人がいる」などと次々に声があがりました。みんな日本が大好きだそうです。日本について知っていることをたくさん話してくれました。
お客さんが来たらまず一緒に食事をする。これがバングラデシュ流のおもてなしだそうです。私も訪問先で、早速およばれしました。言葉は分からなくても、食を通じてコミュニケーションが取れ、つながりを感じることができました。
モノがあふれ、個々人の活動が多くなっている日本では、人と人とのつながりが希薄になりつつあります。日本の地域社会で失われつつあるものの大切さに改めて気づかされました。
弟たちと一緒のベッド~教育支援する里子を訪問
ダッカ市内から車で6時間の、北部のネトロコーナ県を訪れました。
辺り一面に広がる水田地帯。住民たちは稲作に従事しています。バングラデシュでは5月が稲の収穫時期で、一家総出で収穫作業をしていました。子どもたちも早朝や学校が終わると手伝います。
JAFSが支援している里子の一人、同県ベタティ村のジャンナトゥルさん(7年生)の家を訪問し、家の様子を見ながら、生活状況や家族について聞きました。
私「こんにちは。私はJAFSのスタッフで、バングラデシュでの事業を担当しています」
ジャンナトゥルさん(以下:J)「こんにちは」
私「何人家族?」
J「4人。部屋を案内したいから入ってください」
私「ここで勉強してるの?」
J「うん!」
私「暗くない?」
J「暗いけど大丈夫! ここがベッドで、弟たちと一緒に使ってる。ここがお父さんとお母さんのベッド。ここがキッチン」
私「水道は?」
J「ない。水道がある近隣の家で水をくませてもらう。トイレはここ」
笑顔で部屋を案内してくれました。
私「学校は遠い?」
J「2㎞くらい離れたところにあるよ。毎日徒歩で通っている」
私「将来の夢は何?」
J「小学校の先生」
私「勉強は好き?」
J「うん、好き!」
ニコニコしながら話してくれました。家族は、彼女が里子支援を受け、中等教育を受けられていることにとても感謝し、娘がこのまま勉強を続けられるよう願っていました。
この地域では、トタンで覆われた家で暮らしている人が大半です。薄暗い部屋で勉強し、ベッド1つを数人で共有する子どもたち。決して裕福とは言えない環境ですが、みんな笑顔であふれていました。
辺り一面に広がる水田地帯。住民たちは稲作に従事しています。バングラデシュでは5月が稲の収穫時期で、一家総出で収穫作業をしていました。子どもたちも早朝や学校が終わると手伝います。
JAFSが支援している里子の一人、同県ベタティ村のジャンナトゥルさん(7年生)の家を訪問し、家の様子を見ながら、生活状況や家族について聞きました。
私「こんにちは。私はJAFSのスタッフで、バングラデシュでの事業を担当しています」
ジャンナトゥルさん(以下:J)「こんにちは」
私「何人家族?」
J「4人。部屋を案内したいから入ってください」
私「ここで勉強してるの?」
J「うん!」
私「暗くない?」
J「暗いけど大丈夫! ここがベッドで、弟たちと一緒に使ってる。ここがお父さんとお母さんのベッド。ここがキッチン」
私「水道は?」
J「ない。水道がある近隣の家で水をくませてもらう。トイレはここ」
笑顔で部屋を案内してくれました。
私「学校は遠い?」
J「2㎞くらい離れたところにあるよ。毎日徒歩で通っている」
私「将来の夢は何?」
J「小学校の先生」
私「勉強は好き?」
J「うん、好き!」
ニコニコしながら話してくれました。家族は、彼女が里子支援を受け、中等教育を受けられていることにとても感謝し、娘がこのまま勉強を続けられるよう願っていました。
この地域では、トタンで覆われた家で暮らしている人が大半です。薄暗い部屋で勉強し、ベッド1つを数人で共有する子どもたち。決して裕福とは言えない環境ですが、みんな笑顔であふれていました。
1981年に寄贈した井戸が41年間現役
ダッカから車で6時間の、南東部チッタゴン県チャンドラゴーナ地区に、JAFSが1981年に寄贈した井戸があると事前に聞き、見に行きました。
なんと2022年まで、コミュニティの人々によって使われていたようです。井戸を見ていると、そのコミュニティのおじさんがやって来て、話をしてくれました。
井戸の深さは350フィート(約107m)。4世帯150人の住民たちで修理、管理しながら大切に使っていたようです。水位が下がっていったため、今は使われていないとのことでした。
「この井戸の水質はとても良かった」と笑顔で話していました。
直接話を聞くことができ、私自身とても感動しました。寄贈した井戸が大切に40年以上使われていたことに、「すごーい!」と連呼すると、おじさんもニコニコ。現地の言葉は分かりませんが心で通じるものを感じました。
現地の人々の喜びを、JAFSの活動を応援してくださっている方々にも届けたいと思いました。
支援してくださる方々と現地の人々が直接関わる機会は少ないですが、私が感じた喜びや感動をより多くの支援者の皆さんに伝えていくことで、共感してくれる人が生まれ、共に活動してくれる人が生まれていくことを、肌身で感じました。
なんと2022年まで、コミュニティの人々によって使われていたようです。井戸を見ていると、そのコミュニティのおじさんがやって来て、話をしてくれました。
井戸の深さは350フィート(約107m)。4世帯150人の住民たちで修理、管理しながら大切に使っていたようです。水位が下がっていったため、今は使われていないとのことでした。
「この井戸の水質はとても良かった」と笑顔で話していました。
直接話を聞くことができ、私自身とても感動しました。寄贈した井戸が大切に40年以上使われていたことに、「すごーい!」と連呼すると、おじさんもニコニコ。現地の言葉は分かりませんが心で通じるものを感じました。
現地の人々の喜びを、JAFSの活動を応援してくださっている方々にも届けたいと思いました。
支援してくださる方々と現地の人々が直接関わる機会は少ないですが、私が感じた喜びや感動をより多くの支援者の皆さんに伝えていくことで、共感してくれる人が生まれ、共に活動してくれる人が生まれていくことを、肌身で感じました。
他にもたくさんの活動レポートがあります
会報誌アジアネット154号には、他にもアジアや国内の活動情報が満載。以下のURLからご覧ください。
https://jafs.or.jp/user/media/jafs/page/about/summary/154.pdf
アジアネットのバックナンバーは下記ページにあります。
https://jafs.or.jp/about/summary.html
https://jafs.or.jp/user/media/jafs/page/about/summary/154.pdf
アジアネットのバックナンバーは下記ページにあります。
https://jafs.or.jp/about/summary.html
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