パンダン水道建設プロジェクト~水道管が繋ぐ日比国際交流~

■1990年8月、慶應義塾大学院のフィリピンからの留学生マラグダス・アマンテからアジア協会アジア友の会(JAFS)に「故郷のフィリピン・パナイ島アンティケ州バンダン町に井戸を掘ってもらいたい」との依頼の電話が掛かってきました。
「バンダンは海岸に面した町で、飲料水は塩水や汚水の混じった質の悪い井戸水に頼っており、高血圧や心臓病になる人は年間千人近くに昇り、体力のない幼児や老人たちが数百人も命を落としている」と言うことでした。

■1990年12月のJAFS理事会で村上公彦事務局長からパンダンから井戸建設の依頼があった旨報告しますが、情報があまりにも少ないため報告のみに留まります。

■1991年6月、JAFSの村上公彦事務局長は調査のためにパンダンに招待され、町の関係者と面談しますが、先の大戦で悲惨な体験をした多くの町民(犠牲者は120人)から白眼視され、「井戸建設よりも対日感情の改善が先決である」と強く感じました。

■1992年3月10日村上事務局長パンダンを再訪問し町役場で関係者と話し合い、町側の希望を聞き出し「井戸を掘るか、簡易水道を建設するか、JAFSが協力できるかを理事会に諮り検討する」との回答を残し帰国

■1992年9月 田中久雄JAFS理事長が、町の希望する中央広場の井戸建設予定地や近隣の湧水池を現地調査して
① 町の南2㎞にあるサン・アンロレスの山から取水する
② 町から約10キロメートル北方のマロンパティの湧水から取水する
③ 町の中央広場に井戸を掘る
の三案をまとめ、帰国後
池田宏筑波大学地球科学系助教授、
岐阜の大垣で井戸建設会社を経営している川合千代子さん、
富田和政(株式会社太陽建設コンサルタント)代表取締役と相談し助言をいただく

■1993年3月26日 田中、川合、富田がパンダンに飛び第一次現地調査を行い、30日に帰国後、調査報告書を作成し、ほぼ第2案の「マロンパティの湧水から取水する」を採用することが決まる。

◆◆マロンパティ涙の伝説◆◆
昔、ブンガ川に“マロンパティ”という雌の鰐が住んでいました。そして、この土地に住む“マンロコング”という雄の鰐は彼女と結婚すると心に決めていましたが、ある日遠くから彼女に求婚すべく“マンデュリアオ”というもう一匹の雄鰐がやって来たため“マロンパティ”を求めて二頭が決闘しますが、岩を砕き川底に大きな穴を穿った後、二頭とも力尽きて死んでしまいます。“マロンパティ”はこのことを嘆き悲しみ泣き続け、この涙が沸き水になったと言う伝説が語り継がれています。  

■1993年6月10日~14日 本格的調査のため富田がパンダンに向かい、総工費見積額約6,000万円、工期約四年間の基本計画案がまとまる。
ただし、「この計画は“援助”ではなく“自立支援”であり、基本方針はあくまでも現地の人々が工費、工事を一部負担するものとする」と締めくくられています。

その後、数回理事会で審議されたが、NPO単独で立ち向かうには余りにも負担・課題が大き過ぎたため結論が出なかったが、1993年8月22日の最後の理事会で、横井克己JAFS会長の「資金がなければ私の生命保険を使えばよい。どうしてもこのプロジェクトをやりたい!」の重たい一言で「パンダン水道建設プロジェクト」が決議され、NPOにとっては身の丈以上に思えるこの難題解決に、工費資金として寄付を募り、労働力はワークキャンプを実施してボランティア参加を呼びかけ、現地住民の協力も得て立ち向かうことになります。

★パンダン水道建設のワークキャンプは1994年8月の第一次から1998年5月まで通算18回、延べ260人以上のボランティアが参加。また最終的に一億円の寄付協力を得て、全長10㎞の水道施設【7.5㎞はJAFSが受け持ち残りの2. 5㎞はパンダン町側が担当】は1998年2月20日の完成式を迎え、現在約2700世帯(約14,000人)に給水され、経営・維持管理は「パンダン水道公社」にしっかりと引き継がれています。

★神の見えざる手に導かれて>>>元日本軍無名兵士の墓の建設
関西電力労働組合大阪北地区本部労組の下野武志執行委員長(現:NPO法人関西ナショナル・トラスト協会副理事)中心に以下の様に5回のワークキャンプに参加協力
【第1次ワークキャンプ】
1996年6月7日~12日 15名参加 150m 埋設、
【第2次ワークキャンプ】
1996年11月15日~22日 15名参加 228m 埋設
【第3次ワークキャンプ】
1997年5月16日~23日 20名参加 348m 埋設
【第4次ワークキャンプ】
1997年11月14日~22日 19名参加 702m 埋設
【第5次ワークキャンプ】1998年1月30日~2月6日
・関西電力労働組合第1次ワークキャンプの最終日1996年6月12日 町は独立記念式典を行っていたので町長を表敬訪問したところ「この近くに日本兵戦死者二十数体が埋められている」との情報を得る
・2次ワークキャンプ期間中 持参した米、柿、酒、線香、蝋燭を供物とし簡単な祭壇を設け供養
・3次ワークキャンプ期間中 フィリピン側戦死者の慰霊塔にお参りし、修理のため献金
・パンダンを訪問するたびに 日本兵が埋葬されている場所を訪れ遺骨遺品を探し、拝礼を繰り返す姿に感銘をうけた現地退役軍人会の役員や会員から「戦死した日本兵たちにも慰霊碑を建てよう」との声が沸き起こり、1998年2月20日 フィリピン慰霊塔から30m離れた町の中心部に「元日本軍無名兵士の墓」が完成し除幕式が開催された。
しかし、慰霊塔に納めるべく遺骨等捜索するがついに見つからないため、その後の調査で岐阜県出身者中心に編成された部隊であることが判明したので木曽三川(長良川、木曽川、揖斐川)の小石が「岐阜新聞」とともに現地に届けられ慰霊碑に納められた。
その後も下野は現地を訪れ、博多人形五体(本人、妻、子供、両親の家族を形どった)を持参し慰霊碑の石室におさめた。

★累積する課題<<<智恵と力を出し合い克服
・資金あつめ
揖斐川・本巣・美濃大野・池田・神戸ライオンズクラブ、国際ロータリー第2650地区74クラブからの大口寄付
一般に呼びかけ 1口:パイプ1本(25Cm×6m)¥38000
・労働力確保
関西電力労働組合、ユニチカユニオン、国際ロータリー第2650地区からワークキャンプに参加
通算18回のワークキャンプ実施。延べ280人のボランティアが参加
・根深い反日感情
・現地スタッフの発掘、育成
・建設資材の調達、搬入、輸送
・難工事続出
・パンダン町長の交代
・東日本大震災発生
・現地協力の獲得

★プロジェクトが進められていく苦難の道のりや幾多の課題を乗り越えていく過程の詳細は、発売元PHP研究所/小嶋忠良著『マロンパティの精水―いのちの水の物語―』に収められています。
購入ご希望の方は、JAFS事務局までお問い合わせください。

★パンダン・パイプラインの話は『中学社会 公民的分野』(大阪書籍・平成13年3月30日検定済)
『高等学校 現代地理A』(清水書院・平成14年3月20日検定済)の二冊に載りました。

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